村田兆治さんが亡くなりました。2022年11月11日のことです。
プロ野球史に名前を刻んだ大投手がまたいなくなってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。
村田兆治の全盛期の球速。晩年も140km
村田兆治さんというと、特徴的な投球フォーム「マサカリ投法」が有名です。
右腕から放たれる剛球で、並み居る強打者をバッタバッタと打ち取っていきました。
球速も出ていましたね。
公式の記録はないようですが、現役時代の最高球速は「152.2km」という情報があります。
スピードガンの計測では、引退前年(1989年・40歳)のときでも148km出ていたそうです。
引退しなくてよかったのでは!?と思わせる球速です。
引退後はこんな感じだったようです。
- 2003年 140km(53歳)
- 2005年 141km(55歳)
- 2007年 135km(57歳)
- 2013年 135km(63歳)
- 2016年 131km(66歳)
- 2018年 112km(68歳)
めちゃくちゃすごくないですか?50代で140km、60代で130km。
現役高校生でもここまでスピードが出せるピッチャーは少ないですよ!
言葉が出てきません。すごすぎます!
衝撃の始球式
村田兆治さんは始球式で伝説を残しています。
出演するたびにどよめきが起きて、驚きを巻き起こす偉大な選手でした。
こちらの動画で2013年、2016年、2018年の記録が見られます。
3分弱の短い時間に村田兆治さんのすごさが詰まっています!これは見る価値ありますよ。
プロ野球での通算成績
村田兆治さんのプロ野球での通算成績をご紹介します。
年 | 勝利 | 敗戦 | セーブ |
1968 | 0 | 1 | 0 |
1969 | 6 | 8 | 0 |
1970 | 5 | 6 | 0 |
1971 | 12 | 8 | 0 |
1972 | 3 | 3 | 0 |
1973 | 8 | 11 | 0 |
1974 | 12 | 10 | 1 |
1975 | 9 | 12 | 13 |
1976 | 21 | 11 | 4 |
1977 | 17 | 14 | 6 |
1978 | 14 | 13 | 3 |
1979 | 17 | 12 | 2 |
1980 | 9 | 9 | 2 |
1981 | 19 | 8 | 0 |
1982 | 4 | 1 | 0 |
1983 | 0 | 0 | 0 |
1984 | 0 | 1 | 0 |
1985 | 17 | 5 | 0 |
1986 | 8 | 11 | 0 |
1987 | 7 | 9 | 0 |
1988 | 10 | 7 | 0 |
1989 | 7 | 9 | 0 |
1990 | 10 | 8 | 2 |
通算 | 215 | 177 | 33 |
- 最多勝利 1回
- 最終週防御率 3回
- 最多奪三振 4回
- 最多セーブ 1回
通算215勝177敗33セーブです。通算勝利数は2022年シーズン終了時点で17位タイ!
ものすごい成績ということがよく分かります。
江夏豊さん、堀内恒夫さんよりも上位にランクインされています。
マサカリ投法で記憶に残り、数字で記録にも残る。大投手ですよ。
生年月日や体重などプロフィール
村田兆治さんのプロフィールをご紹介します。
- 生年月日 1949年11月27日
- 身長 181cm
- 体重 78kg
- 血液型 AB型
- プロ入り 1967年ドラフト1位
- 出身地 広島県豊田郡本郷町(現三原市)
- 出身高校 福山電波工業高校(現近畿大学附属広島高等学校福山校)
高校時代から150kmを超える球速をマークしていたという情報もあります。
その当時、スピードガンがなかったようで正確には分かりません。
ただ、プロ野球での最高球速が152kmという情報もありますから、実際はどうなのでしょうね。
1967年に東京オリオンズにドラフト1位で入団。
最初にもらった背番号「29」をずっと背負い、代名詞とも言われるようになりました。
3回の最優秀防御率を獲得し、1990年に引退。
引退の年に二桁勝利を挙げて、惜しまれながらの引退となりました。
2005年には野球殿堂入りしています。
妻(嫁)は本を出版している
村田兆治さんの妻は村田淑子さん。本を出版しています。
本人や記者が出版することは多いと思いますが、妻が出版することってどうなんでしょう。珍しい気がします。
特徴的なフォームの大投手でした
村田兆治さんと言えば、マサカリ投法。ストレートとフォーク。晩年になっての球速。
本当に驚きと勇気を与えてくれる方でした。これからも語り継がれると思います!
ありがとうございました!