幕末という激動の時代。
幕末の四大人斬りと後に呼ばれる志士がいました。
伝説ともなった人斬り4人をご紹介していきます!
幕末の四大人斬りとは
幕末の四大人斬りと呼ばれているのはこの4人です。
- 岡田以蔵(おかだ・いぞう)
- 中村半次郎(なかむら・はんじろう)
- 田中新兵衛(たなか・しんべえ)
- 河上彦斎(かわかみ・げんさい)
では、それぞれの人物について人生を見ていきましょう!
幕末四大人斬り 一覧表|読み方・出身藩・最期・写真
幕末の四大人斬りを一覧でまとめました。
実際の写真が残っているのは4人のうち1人だけというのも意外な事実です!
| 名前 | 読み方 | 出身藩 | 活動期間 | 最期 | 写真・肖像 |
| 岡田以蔵 | おかだいぞう | 土佐藩 | 1861〜1864年 | 打ち首・獄門 | なし(錦絵・模写のみ) |
| 中村半次郎(桐野利秋) | なかむらはんじろう | 薩摩藩 | 1860年代〜1877年 | 西南戦争で戦死 | あり(写真が現存) |
| 田中新兵衛 | たなかしんべえ | 薩摩藩 | 1862〜1863年 | 捕縛後に自刃 | なし(錦絵・模写のみ) |
| 河上彦斎 | かわかみげんさい | 熊本藩 | 1860年代〜1872年 | 斬首刑 | なし(錦絵・模写のみ) |
岡田以蔵
岡田以蔵(おかだ・いぞう)
1938年2月14日~1865年7月3日
土佐藩生まれ。土佐と江戸を行き来して、武芸を学びました。
1861年に武市半平太が結成した土佐勤王党に加入し、京都へ。
王政復古・尊王攘夷派として、暗殺に動くことになります。
高杉晋作や坂本龍馬、勝海舟とも交流があったようですね。
1864年に捕縛されて京都を追放。土佐に送られます。
土佐では軽い拷問に泣き叫び、かかわった事件や同志について自白。
多くの仲間が逮捕されるきっかけを作ったとされています。
1865年に打ち首、獄門(さらし首)となりました。
かかわったとされる暗殺事件は以下の通り。
- 井上佐市郎暗殺
- 本間精一郎暗殺
- 宇郷重国殺害
- 猿の文吉殺害
- 四与力殺害
意外と少なく思えるかもしれません。
が、やはり名のある要人は警護も厳しいでしょうし、おいそれと殺害できるものではないでしょう。
それでもこれだけの事件にかかわっているのはものすごいことですよ。
剣術・強さについて:師匠は土佐勤王党の首領・武市半平太(たけちはんぺいた)。武市の命を受け暗殺を実行したとされています。
剣の腕前は確かで、「人斬り以蔵」という異名がつくほどでしたが、武市の命令に従って動くことが多く、自分の意志で動くタイプではなかったとも言われています。
後年、拷問に屈して自白したエピソードから、精神的な強さより剣の腕が際立っていた人物という評価が定着しています。
中村半次郎(桐野利秋)
中村半次郎(なかむら・はんじろう)
1839年1月16日~1877年9月24日
薩摩藩出身。じわじわとネットワークを広げ、諸国の志士とつながりを持ちます。
同時に家老の小松帯刀や西郷隆盛から重用されるようになったようです。
三吉慎蔵や坂本龍馬、木戸孝允や中岡慎太郎とも交流があったそうですよ。
1867年に赤松小三郎を白昼堂々と暗殺。
薩摩藩出身ということで、新政府軍に帯同。
戊辰戦争でも活躍。陸軍少将および従五位となりました。
西南戦争では西郷隆盛に従い、最後まで奮闘するも、額に銃弾を受けて戦死しています。

人斬りと言われますが、暗殺にかかわったのは赤松小三郎暗殺事件だけのようです。
後世、池波正太郎さんが「人斬り半次郎」という小説を発表したことから、人斬りとしての認識が広がったようです。
田中新兵衛
田中新兵衛(たなか・しんべえ)
1832年~1863年7月11日
薩摩藩出身。幼い頃から剣術が非常に得意だったようです。
最初の暗殺は1862年の島田左近暗殺事件だと言われています。
その後、幕末4大人斬りのひとり、岡田以蔵などと組んで暗殺事件にかかわっていったようですよ。
1863年に朔平門外の変の犯人の一人として捕縛。
尋問中に割腹。さらに喉を突いて自刃しています。
そのため、田中新兵衛がかかわった事件などが明らかにならないままとなりました。
かかわったといわれる暗殺事件はこちらです。
- 島田左近暗殺
- 本間精一郎暗殺
- 渡辺金三郎暗殺
- 大河原重蔵暗殺
- 森孫六暗殺
- 上田助之丞暗殺
活動期間が1年ということを考えると、この結果は非常にインパクトがありますね。
おそらく、若い頃にもっとかかわっているのではないか、という気はします。
河上彦斎
河上彦斎(かわかみ・げんさい)
1834年12月25日~1872年1月13日
熊本藩士。なんと、るろうに剣心の主人公「緋村剣心」のモデルになったという噂の人物です。
子どもの頃に熱心に学び、その結果、尊王攘夷の気持ちを固めていったようです。
1864年、佐久間象山を襲い、殺害。
その後は禁門の変に長州側として参加。
第二次長州征伐でも長州軍として参戦しています。
その後、熊本藩に戻りますが、そのころには熊本藩は幕府を補佐する佐幕派になっており、捕縛されて投獄。
明治に入り、罪を許されて上京。
しかし、その後、多数の事件との関与が疑われ投獄。斬首刑となりました。
記録に残っているのは佐久間象山殺害だけですが、多くの噂があり、おそらく多数の人物を殺害したと考えられています。
緋村剣心のモデルになったと言われる通り、身長は150cmほど。色白でぱっと見は女性にも見えたそう。片手抜刀の達人だったみたいですね。
るろうに剣心との関係:漫画・アニメ「るろうに剣心」の主人公・緋村剣心(ひむらけんしん)のモデルと言われているのが河上彦斎です。
共通点は以下の通りです。
- 小柄で色白、一見女性に見える外見
- 片手抜刀(縮地・瞬足の動き)の使い手
- 尊王思想を持つ志士
- 幕末に数々の暗殺にかかわったとされる
ただし、作中の緋村剣心は「不殺(ころさず)の誓い」を立てており、人斬りとして容赦なく活動した実在の河上彦斎とは大きく異なります。
史実ではなくあくまで「モデルの一人」として参考にされたと考えるのが自然でしょう。
幕末四大人斬り 最強ランキング|強さを徹底比較
「4人の中で最強は誰か?」は歴史好きが盛り上がる話題のひとつ。
記録と評判をもとに比較してみました。
- 河上彦斎:片手抜刀の達人で、幕末最強の人斬りと呼ばれることが多い。小柄ながら瞬殺の技術は随一と伝わる。
- 田中新兵衛:わずか1〜2年の活動で6件以上の暗殺に関与。密度の高さは4人中トップクラス。自刃の最期も武人らしい。
- 岡田以蔵:「人斬り以蔵」の異名を持ち、知名度は4人の中で最も高い。武市半平太の命令実行役として多数の事件に関与。
- 中村半次郎:暗殺件数は少ないが、戊辰戦争・西南戦争を戦い抜いた武将としての実力は突出。純粋な「剣の強さ」より「戦場での強さ」で評価される。
※あくまで諸説・伝承をもとにした比較です。
史料が少なく確定的なことは言えませんが、河上彦斎の剣術への評価が最も高いことが多いです。
幕末四大人斬りの最後(最期)まとめ
4人全員が激動の幕末・明治初期に非業の最期を迎えています。
- 岡田以蔵:1865年、土佐で打ち首・獄門(さらし首)。享年27歳。
- 田中新兵衛:1863年、捕縛後に尋問中に割腹・自刃。享年31歳頃。
- 河上彦斎:1872年、明治新政府により斬首刑。享年37歳。
- 中村半次郎(桐野利秋):1877年、西南戦争で額に銃弾を受け戦死。享年38歳。
4人の中で最も長く生きたのは中村半次郎で、唯一「戦場での死」という最期でした。
幕末四大人斬りと新選組の違いは?
「新選組と四大人斬りはどう違うの?」という疑問もよく聞かれます。
| 幕末四大人斬り | 新選組 | |
| 立場 | 尊王攘夷派(倒幕側) | 佐幕派(幕府側・守護職配下) |
| 活動 | 個人またはグループによる暗殺 | 組織による治安維持・粛清 |
| 目的 | 幕府寄りの要人を除く | 京都の尊王攘夷派を取り締まる |
| 関係 | 新選組に追われる立場 | 四大人斬りを追う立場 |
つまり四大人斬りと新選組は「敵対する立場」にありました。
岡田以蔵や河上彦斎が活動した京都は、まさに新選組が取り締まりを行っていた舞台。
互いに命がけの時代を生きた、幕末の裏の顔と表の顔とも言えます。
歴史は勝者が作る
幕末の四大人斬りをご紹介しました。
思ったよりもインパクトが薄い、というイメージがないですか?
アニメや漫画、ドラマのように、ばったばったと人をあやめていると思っていました。
もちろん、記録にあるものだけなので、記録されていない部分が大きい可能性はありますが。
あと、こういう歴史上の人物を語る上で欠かせない視点は「歴史は勝者が作る」ということです。
勝者の都合の悪い部分はもみ消したり、敗者のせいにしたり。
この時期であれば、明治の新政府が勝者です。
もしかすると、罪をなすりつけられたかわいそうな人たちだった可能性も。
そんなことを考えていると、「歴史ってなんだろうな。。。」と思っちゃいますが。
まぁ、こんな人たちがいたとされている、とエンターテイメントとして知っておくのが良さそうです!





