幕末4大人斬り|三大ではなく四人。名前と人生をご紹介します!

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幕末4大人斬り 有名人

幕末という激動の時代。

幕末の四大人斬りと後に呼ばれる志士がいました。

伝説ともなった人斬り4人をご紹介していきます!

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幕末の四大人斬りとは

幕末の四大人斬りと呼ばれているのはこの4人です。

 

  • 岡田以蔵(おかだ・いぞう)
  • 中村半次郎(なかむら・はんじろう)
  • 田中新兵衛(たなか・しんべえ)
  • 河上彦斎(かわかみ・げんさい)

 

では、それぞれの人物について人生を見ていきましょう!

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岡田以蔵

岡田以蔵(おかだ・いぞう)

1938年2月14日~1865年7月3日

 

幕末4大人斬り

土佐藩生まれ。土佐と江戸を行き来して、武芸を学びました。

1861年に武市半平太が結成した土佐勤王党に加入し、京都へ。

王政復古・尊王攘夷派として、暗殺に動くことになります。

高杉晋作や坂本龍馬、勝海舟とも交流があったようですね。

 

1864年に捕縛されて京都を追放。土佐に送られます。

土佐では軽い拷問に泣き叫び、かかわった事件や同志について自白。

多くの仲間が逮捕されるきっかけを作ったとされています。

1865年に打ち首、獄門(さらし首)となりました。

 

かかわったとされる暗殺事件は以下の通り。

  • 井上佐市郎暗殺
  • 本間精一郎暗殺
  • 宇郷重国殺害
  • 猿の文吉殺害
  • 四与力殺害

 

意外と少なく思えるかもしれません。

が、やはり名のある要人は警護も厳しいでしょうし、おいそれと殺害できるものではないでしょう。

それでもこれだけの事件にかかわっているのはものすごいことですよ。

中村半次郎(桐野利秋)

中村半次郎(なかむら・はんじろう)

1839年1月16日~1877年9月24日

 

幕末4大人斬り

薩摩藩出身。じわじわとネットワークを広げ、諸国の志士とつながりを持ちます。

同時に家老の小松帯刀や西郷隆盛から重用されるようになったようです。

三吉慎蔵や坂本龍馬、木戸孝允や中岡慎太郎とも交流があったそうですよ。

 

1867年に赤松小三郎を白昼堂々と暗殺。

薩摩藩出身ということで、新政府軍に帯同。

戊辰戦争でも活躍。陸軍少将および従五位となりました。

 

西南戦争では西郷隆盛に従い、最後まで奮闘するも、額に銃弾を受けて戦死しています。

 

人斬りと言われますが、暗殺にかかわったのは赤松小三郎暗殺事件だけのようです。

後世、池波正太郎さんが「人斬り半次郎」という小説を発表したことから、人斬りとしての認識が広がったようです。

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田中新兵衛

田中新兵衛(たなか・しんべえ)

1832年~1863年7月11日

 

幕末4大人斬り

薩摩藩出身。幼い頃から剣術が非常に得意だったようです。

最初の暗殺は1862年の島田左近暗殺事件だと言われています。

その後、幕末4大人斬りのひとり、岡田以蔵などと組んで暗殺事件にかかわっていったようですよ。

 

1863年に朔平門外の変の犯人の一人として捕縛。

尋問中に割腹。さらに喉を突いて自刃しています。

そのため、田中新兵衛がかかわった事件などが明らかにならないままとなりました。

 

かかわったといわれる暗殺事件はこちらです。

  • 島田左近暗殺
  • 本間精一郎暗殺
  • 渡辺金三郎暗殺
  • 大河原重蔵暗殺
  • 森孫六暗殺
  • 上田助之丞暗殺

 

活動期間が1年ということを考えると、この結果は非常にインパクトがありますね。

おそらく、若い頃にもっとかかわっているのではないか、という気はします。

河上彦斎

河上彦斎(かわかみ・げんさい)

1834年12月25日~1872年1月13日

 

幕末4大人斬り

熊本藩士。なんと、るろうに剣心の主人公「緋村剣心」のモデルになったという噂の人物です。

 

子どもの頃に熱心に学び、その結果、尊王攘夷の気持ちを固めていったようです。

1864年、佐久間象山を襲い、殺害。

その後は禁門の変に長州側として参加。

第二次長州征伐でも長州軍として参戦しています。

 

その後、熊本藩に戻りますが、そのころには熊本藩は幕府を補佐する佐幕派になっており、捕縛されて投獄。

 

明治に入り、罪を許されて上京。

しかし、その後、多数の事件との関与が疑われ投獄。斬首刑となりました。

 

記録に残っているのは佐久間象山殺害だけですが、多くの噂があり、おそらく多数の人物を殺害したと考えられています。

 

緋村剣心のモデルになったと言われる通り、身長は150cmほど。色白でぱっと見は女性にも見えたそう。片手抜刀の達人だったみたいですね。

歴史は勝者が作る

幕末の四大人斬りをご紹介しました。

思ったよりもインパクトが薄い、というイメージがないですか?

アニメや漫画、ドラマのように、ばったばったと人をあやめていると思っていました。

もちろん、記録にあるものだけなので、記録されていない部分が大きい可能性はありますが。

 

あと、こういう歴史上の人物を語る上で欠かせない視点は「歴史は勝者が作る」ということです。

勝者の都合の悪い部分はもみ消したり、敗者のせいにしたり。

この時期であれば、明治の新政府が勝者です。

もしかすると、罪をなすりつけられたかわいそうな人たちだった可能性も。

 

そんなことを考えていると、「歴史ってなんだろうな。。。」と思っちゃいますが。

まぁ、こんな人たちがいたとされている、とエンターテイメントとして知っておくのが良さそうです!

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