まつもと泉 死去|きまぐれオレンジロードが代表作。他の作品などもご紹介

まつもと泉 死去

まつもと泉さんが亡くなりました。きまぐれオレンジロードで有名な漫画家さんですね。ファンも多くて亡くなったことがとても惜しまれています。

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まつもと泉はきまぐれオレンジロードで有名。作品のご紹介

まつもと泉と言えばきまぐれオレンジロード!あの頃、ドキドキした人も多いハズ。きまぐれオレンジロード以外にどんな作品があるかご紹介します。

  • ミルク☆レポート
  • きまぐれオレンジ☆ロード
  • せさみ☆すとりーと
  • BLACK MOON(作画)
  • Graffiti(短編集)
  • カッパ・トゥ・ザ・ティーチャー(原案、監修)
  • エンジェルグラフィティ~あなたへのプロフィール~(キャラクターデザイン)
  • EE(漫画)
  • 幕末綿羊娘情史(未発表?)
  • DIGITAL SHORT CONTENTS(フルカラー短編集)

 

やはりきまぐれオレンジロードが一番の代表作ですね。原案とか監修もしていたとは、全然知らなかったです。

しかし、きまぐれオレンジロードのインパクトは抜群です。連載スタートは1984年。この頃、週刊少年ジャンプでは美少女とかラブコメとかの漫画は少なかったみたいですね。

そんなジャンプのラブコメ漫画の開拓者と言ってもいいようです。一緒にラブコメ漫画を開拓した漫画家には、ちば拓さん(キックオフ)や桂正和さん(ウイングマン)がいます。

 

あの頃、きまぐれオレンジロードの鮎川まどかに恋した人は多かったはずですよ!

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まつもと泉は多くの病で闘病生活をしていた

 

まつもと泉さんは多くの病と戦っていたようです。

最初の大きな体調不良はきまぐれオレンジロード連載中だったみたいです。そのときには半年ほど休養。

1999年には脳脊髄液減少症となりました。これは4歳のときの交通事故が原因と言われています。事故にあってから40年近く経ってから体調不良が起きることもあるんですね。怖いです。

2015年には持病の心房細動の手術を行ったそうです。

2016年には頭を強打し、脳脊髄液減少症が再発。なんと3か月間も寝たきりで自宅療養をしていたとのこと。

2018年には活動再開を宣言していましたが、

残念ながら2020年10月6日に亡くなりました。享年61歳。

 

もし体が健康だったなら。。。きまぐれオレンジロード級のヒット作を作れてもおかしくなかったんじゃないですかね。

まつもと泉死去に対する声

まつもと泉さんが亡くなったことに対して、多くの追悼の言葉があがっています。

有名漫画家、アーティストからも亡くなったことを惜しむ声がたくさん。とてもいい人柄だったんじゃないかと思うんです。

死んだときに多くの人が惜しんでくれる人生を送りたいな、と改めて思わされます。

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まつもと泉の出身地、出身校などプロフィール

まつもと泉さんの出身地などのプロフィールをご紹介します。

  • 本名 寺嶋 一弥(てらしま かずや)
  • 生年月日 1958年10月13日
  • 出身地 富山県高岡市
  • 出身高校 富山県立高岡工芸高等学校

 

高校卒業後、富山県からミュージシャンを目指して上京したそうです。パートはドラム。しかし、ミュージシャンの道は諦めてデザイン専門学校に入学したみたいですね。

そこで漫画を描き始めて、持ち込んだ会社のひとつが集英社。あの週刊少年ジャンプの会社だったんですね。

もし、ドラムの道を続けていたら。もし集英社が取り合っていなかったら。。。きまぐれオレンジロードは生まれていなかった可能性すらあります。

人生って本当におもしろいですね。

まつもと泉の死去が残念すぎます

 

まつもと泉さんのことを改めて調べ直してみて、すごく健康面で苦労した人だったんだな、ということが分かりました。

もし、4歳のときに交通事故に遭っていなかったら。きまぐれオレンジロードに続く大ヒット作品を作れた可能性も高いでしょう。

もし生まれた時代がもっと先で、脳脊髄液減少症が完治する世の中だったら。。。とか、ついつい「もし」を考えてしまいます。

 

あちらでは元気に過ごされるといいなぁ、と今は思うだけです。ご冥福をお祈りします。

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