日本には日本三大怨霊というものすごい力を持った怨霊がいます。
そんな日本三大怨霊について解説していきます!
日本三大怨霊とは
日本三大怨霊とはこの3人のことで、ほぼ一致しています。
- 菅原道真
- 崇徳天皇
- 平将門
歴史の教科書にも出てくるような超有名人ばかりですね。
生きているときの恨みや無念がたまりたまって、死後も霊となって現世に影響を及ぼしました。
その恨みや無念が大きければ大きいほど、怨霊となったときの力も強大なものになるということです。
まぁ、朝廷とか政治の世界って、めちゃくちゃ恨みつらみが多いでしょうから。。。
政治にかかわった人が怨霊となるのも分かります。
この3人が三大怨霊として認識されるようになったのは、江戸時代あたりみたいです。
本や読み物、歌舞伎や演劇で多く取り上げられて三大怨霊として認められるようになったようですよ。
菅原道真はなぜ怨霊になったか
菅原道真は平安時代に中流貴族の家に生まれました。
幼いころから学問や文芸にその才能を発揮し、神童と呼ばれるほどの人物だったとか。
その勢いは大人になってもとどまることはなく、朝廷の最高職とも言われる「右大臣」に上りつめます。
しかし、その出世を快く思わない人ももちろんいるわけです。
当時の左大臣、藤原時平が筆頭格ですね。
藤原時平は菅原道真のことを醍醐天皇に讒言。
藤原時平を信じた醍醐天皇によって、太宰府へ流されることになりました。
菅原道真は無罪を訴え続けますが、聞き入れられることはなく、流されてから2年で亡くなってしまいました。
その後、続けざまに藤原時平や藤原時平派の貴族、醍醐天皇や皇太子が亡くなってしまうという事件が起きました。
干ばつや疫病も流行。
人々はこれを菅原道真のたたりだと噂したようです。
その後、霊を鎮めるために太政大臣や左大臣の位を与えたり、北野天満宮を建立。
時が経つとともに、たたりとされる事件も減っていきました。
藤原時平派の貴族が亡くなったのは落雷のためでした。
そこで菅原道真は雷神として恐れられ、天の神様=天神様と呼ばれるようになっています。
崇徳天皇はなぜ怨霊になったか
崇徳天皇は第74代天皇の鳥羽天皇と藤原璋子との間に生まれました。
と、されていますが、実際は鳥羽天皇のおじである白河法皇と藤原璋子の間に生まれた子どもだったようです。
5歳のときに、白河法皇が鳥羽天皇に譲位を迫り、なんと5歳で崇徳天皇が誕生します。
実権はもちろん白河法皇ですね。
しかし10歳のときに後ろ盾である白河法皇が亡くなり、実権は鳥羽上皇へ。
20歳のときには退位させられ、弟の近衛天皇に譲ることとなりました。
その近衛天皇は崇徳上皇が36歳のときに亡くなります。さらに翌年鳥羽上皇が亡くなりました。
これをきっかけに、それまでの人生で不満がたまりまくっていた崇徳上皇は行動を起こします。
藤原忠実・藤原頼長・源為義・源為朝などを味方に起こした反乱。
これが「保元の乱」です。
しかし、残念ながら藤原忠通・源義朝・平清盛たちが加勢する、後白河法皇に敗北。
我が香川県に流刑になります。
流されて10年後、死後も天下をたたり国を悩ましてやる、と誓って亡くなりました。
亡くなった後、二条天皇をはじめとして後白河法皇の近親者が次々と亡くなりました。
さらには1177年と1178年に京都で大火事が起きています。
これを崇徳上皇のたたりだと信じた後白河法皇によって、鎮魂の動きが盛んになりました。
平将門はなぜ怨霊になったか
平安時代の武士である平将門。
元々は藤原氏につかえていました。しかし、父親が亡くなったことで地元の関東へ戻ることに。
親族間の領地相続問題に巻き込まれます。
そこで親族の襲撃を返り討ちにした平将門。
実力を認めて、多くの関東武士たちが平将門のもとに集まってきました。
その勢いで、関東の国司を追放。悪政に苦しんでいた関東の人たちは喜び、平将門は東日本の独立を宣言しました。
しかし、朝廷がこの状況を黙って見ているわけもなく、討伐隊が派遣されます。
東日本でも反発があったようで、結果的には奥州藤原氏によって討ち取られてしまいました。
独立宣言からたった2か月後のできごとです。
これが教科書にも出てくる、「平将門の乱」です。
胴体は埋葬されたものの、首は京に送られてさらし首にされました。
首だけになっても目はずっと見開いたままだったとか、夜には歯ぎしりが聞こえたとか、伝説が残っています。
最後には首が胴体を求めて関東へ飛んで帰ったと言われています。
その後、14世紀には平将門のたたりだとされる疫病が起きたり、大蔵省庁舎を再建するときに首塚を壊した関係者が亡くなったことも。
戦後、GHQが首塚を取り壊しを始めたときに重機が横転するという事故も起きています。
三大怨霊以外の強力な怨霊
菅原道真、崇徳天皇、平将門が三大怨霊と言われますが、3人以外にも強力な怨霊がいます。
例えばこの方々。
- 長屋王(ながやのおおきみ)
- 早良親王(さわらしんのう)
- 井上内親王(いのえないしんのう)
- 他戸親王(おさべしんのう)
- 安徳天皇(あんとくてんのう)
- 平知盛(たいらのとももり)
- 後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)
- 順徳上皇(じゅんとくじょうこう)
- 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
この中でも特に強力で、こちらこそ三大怨霊だ、といわれることもあるのが「早良親王」です。
早良親王はあの有名な桓武天皇の実の弟です。
長岡京へ遷都した1年後、長岡京の建築を早良親王とともに任された藤原種継が暗殺されます。
早良親王はこの事件の首謀者として逮捕。淡路島に流される途中で亡くなりました。
飲食を断って、無実を主張していたようです。
早良親王の死後、桓武天皇の妻や母をはじめとした身近な人々が亡くなります。
これは早良親王のたたりだと考えた桓武天皇は、崇道天皇という称号を贈り、丁重に葬り直しました。
長岡京への遷都からわずか10年後、平安京へ遷都をしました。
これは洪水被害のためとも言われますが、たたりから逃げるためとも言われています。
三大怨霊をまつった神社
怨霊となった3人を鎮めるため、いろいろな神社にまつられています。その神社を見ていきましょう。
菅原道真
- 北野天満宮
- 太宰府天満宮
- 亀戸天神社
- 桜天神社
その他、「天満宮」と付く神社は菅原道真をまつっています。
崇徳天皇
- 白峯神宮
- 白峰神社
- 安井金比羅宮
平将門
- 国王神社
- 将門神社
- 神田明神
- 鎧神社
また、将門の首塚も平将門が祀られているスポットです。
その他にもゆかりのある神社はたくさんあると思います。
ぜひ近くの神社や関連スポットから回ってみてください!
呪術廻戦にも登場
三大怨霊はあの人気漫画の呪術廻戦にも登場します。
公式に語られているのが五条悟と乙骨憂太の祖先が、菅原道真だということです。
いやぁ、そりゃこの2人が強いわけだ。
平将門と崇徳天皇にゆかりのある人物はまだ出てきていません。
ですが、呪術廻戦には「御三家」という呪術界の名門があります。
それが五条家、禪院家、加茂家です。
五条家は菅原道真を先祖に持つ、ということであれば。。。
残りの2つの家と平将門・崇徳天皇は関係があってもおかしくないですね。
考察も色々出ています。
日本三大怨霊と呪術廻戦の繋がりについて旧友と考察しました。
菅原道真→五条家(公式)
平将門→禪院家(当主が真希に首だけにされた)
崇徳天皇→加茂家(血筋を大事にする)という結果に落ち着きました。頭めっちゃ活性化した…。
— 蕃茄(とまと)🍅アクキーBOOTH登録しました (@oekaki18tomaty) December 30, 2021
何か関係はあるのか、明かされるのか。それともまったく関係がないのか。
今後の展開が楽しみですね。
世界にも怨霊はいるにはいるが。。。
世界にも怨霊はいます。ですが、あまり多くはないですね。
レイスとか、ブラッディマリーとか。数えるほどです。
怨霊という考え方があまりないのかもしれません。
そう考えると、日本の怨霊はすごいですね。強力すぎます!
もっと深く知りたい気持ちになりました。