男子バレーボールの日本代表に、名前の読み方でつまずかれることの多い選手がいます。
高橋慶帆(たかはし けいはん)選手です。
2026年6月1日、ジェイテクトSTINGS愛知が2026-27シーズンの契約を発表しました。
フランスのパリ・バレーで2シーズンを過ごしたあとの、2年ぶりの日本復帰です。
さらに2026年7月31日には、日本で開かれる第20回アジア競技大会の男子日本代表12人にも名前が入りました。
復帰したその年に、地元開催の国際大会が控えている形です。
この記事では、読み方と名前の意味にはじまり、サッカー少年だった中学時代、法政大学で考えていたこと、2023年のアジア競技大会、そしてパリでの2年間と古巣復帰までをまとめていきます。
高橋慶帆のプロフィール(基本情報)
まず読み方から。
「たかはし けいはん」と読みます。
慶帆の2文字で「けいはん」。
初見で読める人はほとんどいないと思いますが、由来を知ると忘れられなくなる名前です。
次のセクションでご紹介しますね。
基本情報は、所属するジェイテクトSTINGS愛知の公式発表にもとづいています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 高橋 慶帆(たかはし けいはん) |
| 生年月日 | 2003年10月13日(2026年8月時点で22歳) |
| 出身地 | 千葉県旭市 |
| 身長 | 194cm |
| 最高到達点 | 360cm |
| 利き腕 | 右 |
| ポジション | オポジット |
| 所属 | ジェイテクトSTINGS愛知(2026年〜) |
| クラブ背番号 | 24 |
ポジションはオポジットです。
セッターの対角に入り、守備よりも攻撃に比重を置くポジションです。
アウトサイドヒッターと違ってレセプション(サーブレシーブ)にほとんど入らないため、その分だけ攻撃に専念できる立ち位置です。
言い換えると、守りの負担が軽い代わりに、点を取ることを強く期待されるポジションでもあります。
身長194cm、最高到達点360cmという数字は、男子バレーのネットの高さ2m43cmと並べてみると高さがはっきりします。
跳んで手が届く位置が、ネットの上端よりさらに1m以上高いところにあります。
ボールをネットの上から下向きに叩き込める高さ、という言い方もできます。
チーム歴は次のとおりです。
- 習志野市立習志野高等学校(2019年〜2022年)
- 法政大学(2022年〜2026年)
- ジェイテクトSTINGS(2023年〜2024年)
- パリ・バレー/フランス(2024年〜2026年)
- ジェイテクトSTINGS愛知(2026年〜)
代表歴はU20代表が2022年、フル代表が2023年から2026年までと続いています。
大学入学の年にアンダーカテゴリーの代表に入り、その翌年にはフル代表へ。
このあと見ていきますが、すごい勢いで階段を登っています!
名前「慶帆」の意味と読み方
「けいはん」という響きは、日本語の名前としてはあまり耳にしません。
それもそのはずで、「ケイハン」はペルシャ語で「世界」を意味する言葉です。
高橋選手は千葉県旭市で、イラン人の父と日本人の母のもとに生まれました。
旭市は千葉県の北東部、九十九里浜の北側に位置する市です。
ペルシャ語はイランの公用語です。
漢字の「慶帆」はその音に当てられた表記で、意味は音のほうに宿っている名前だと言えます。
この名前の由来を早い段階で取り上げたのは日刊スポーツでした。
2023年5月9日、勝部晃多記者の署名記事で、「ペルシャ語で『世界』意味する名の19歳イケメンスパイカー」という見出しが付けられています。
まだ大学2年生、日本代表に選ばれる前の時期の記事です。
世界を意味する名前を持った選手が、のちに実際にフランスへ渡ることになるわけですから、名付けというのは本当に不思議なものです。
サッカーからバレーへ 習志野高校時代
バレーボールを始めたのは、意外なほど遅い時期でした。
高橋選手がバレー部に入ったのは中学2年の途中です。
それまではサッカーをしていました。
本人はweb Sportivaの取材に対し、小学生の頃はサッカーをやっていたが、ケガをしたのをきっかけに中学2年生でバレーボールに転向した、と説明しています。
トップレベルの選手には小学校低学年からボールに触れている例が珍しくありません。
中学2年の途中というスタートは、それと比べるとかなりの後発です。
同学年の選手たちは、この時点ですでに5年も6年も先を走っていた計算です。
そして高校は、地元・千葉の市立習志野高校へ進みました。
春高バレーの常連として知られる学校ですが、選んだ理由が非常に興味深いです!
同じweb Sportivaの記事で、高橋選手はこう振り返っています。
「家から近かったのと、『朝練がない』と聞いたからです(笑)」
強豪校の看板に憧れて飛び込んだ、という話ではありませんでした。
家から近くて、朝が楽そうだから。
競技歴2年ほどの中学生の選択としては、むしろ自然な感覚だったのかもしれません。
ところが、その3年間で状況は一変します。
習志野高校では3年連続で春の高校バレー(全日本バレーボール高等学校選手権大会)に出場しました。
中学2年で競技を始めた選手が、高校在学中に全国大会のコートに立つということになったわけです!
春高は各都道府県の代表校だけが集まる大会で、千葉県は毎年のように強豪がひしめく激戦区です。
そこを3年続けて勝ち抜きました。
高校入学の時点で、サッカーからバレーに移ってまだ2年ほど。
そこから3年間、毎年全国の舞台を経験しています。
競技歴の遅さは、この時点でもう何のハンデにもなっていません。
法政大学とセカンドキャリア
2022年、高橋選手は法政大学経営学部に進学しました。
在籍したのは経営戦略学科です。
高校時代の実績を考えれば、進学先の選択肢はほかにもありました。
バレーボール部としてより上位にいる大学もあったなかで、法政を選んだ決め手として本人が挙げているのがSSI(スポーツ・サイエンス・インスティテュート)という制度です。
SSIは、法政大学が競技スポーツに取り組む学生向けに設けている教育プログラムです。
所属する学部の授業に加えて、スポーツを科学・経営・社会といった角度から学ぶ科目を並行して履修できます。
高橋選手はスポーツ法政新聞会の取材に対し、経営の授業とあわせてスポーツの授業を同時に学べる点が、ほかの大学にはない良さだと語っています。
競技力の強化だけを考えるなら、そこは判断材料になりません。
体育会のバレーボール部で日本一を目指すだけであれば、学部や制度は二の次でもよかったはずです。
それでも高橋選手は、授業のほうを理由に挙げました。
なぜ、そこにこだわったのか。
理由はセカンドキャリアでした。
同じ取材のなかで高橋選手は、スポーツ選手をいつまで続けられるかは分からないこと、ケガはつきもので競技人生がいつ終わるかは自分でも分からないことを挙げています。
そのうえで、バレーだけ、スポーツだけでやってきた場合には希望を見失ってしまうと思うから、そうならないようにセカンドキャリアを考えている、と説明しました。
18歳か19歳の時点でここまで先を見ている選手は、そう多くないでしょう。
競技で行けるところまで行くという発想と、コートを降りたあとの生活を考える発想が、最初から同居していた形です。
そして、大学4年間は実際にかなり忙しいものになりました。
大学2年の2023年に日本代表へ初選出。
同じ年の秋にはアジア競技大会に出場し、11月にはVリーグのジェイテクトSTINGSと契約しています。
さらに大学4年の2024年9月にはフランスへ渡りました。
大学の学業と、代表活動と、国内リーグと、海外リーグ。
この4つを並行させながら、法政大学は2026年に卒業しました。
2023年のブレイク アジア大会で113得点
大学2年だった2023年、高橋選手は日本代表に初めて選出されます。
この代表入りで柳田将洋選手と出会いました。
高橋選手が中学時代から憧れ、尊敬している選手です。
web Sportivaの取材では、中学・高校の頃は柳田選手の熱心なファンで、部屋にポスターを貼り、同じモデルのシューズを使い、フォームまで真似していたと明かしています。
そして2023年、代表でチームメイトに!
アジア競技大会では、その柳田選手が主将としてチームを引っ張っていました。
朝日新聞の学生スポーツメディア「4years.」は2023年5月、この選出を競技7年目での龍神NIPPON入りとして伝えました。
中学2年でバレーボールを始めてから、まだ7年目のことでした。
Number Webの取材によれば、本人にとっては予想外のできごとだったようです。
まさか選ばれると思っていなかったこと、目標にしていた場所ではあるものの自分で大丈夫なのかという気持ちがあったこと、期待よりも不安のほうが大きかったことを、のちに振り返っています。
そして同年、第19回アジア競技大会(2022/杭州)に日本代表のオポジットとして出場し、チーム最多となる113得点を挙げて銅メダル獲得に貢献しました。
内訳を見ると、この113点がどれだけ突出していたかが分かります。
月刊バレーボールの集計では、7試合のうち5試合でチーム最多得点をマークしました。
9月22日のカザフスタン戦では17得点を挙げ、日本の4連勝に貢献しています。
日本は準決勝で開催国の中国に敗れましたが、9月26日の3位決定戦でカタールを3-1で下しました。
この大会でのメダルは、日本にとって2大会ぶりでした。
代表デビューの年に、いきなりチームの得点源として大会を戦い抜いた形です。
しかもこのときの日本はB代表主体の編成でした。
アジア競技大会は、同じ時期に世界選手権やワールドカップの予選が重なることも多く、各国が主力をそのまま送り込むとは限りません。
それでも4年に一度のアジアの総合大会であることに変わりはなく、若い選手にとっては国際大会の実戦を積める貴重な舞台です。
高橋選手はその編成の中心で、7試合に渡り打ち続けました。
この活躍が、その後の展開を一気に早めます。
2023年11月15日、ジェイテクトSTINGSへの加入が発表されました。
大学4年生の内定選手ではなく、在学中の大学2年生と契約する形は、当時のジェイテクトにとって初めてのケースでした。
いわゆる強化指定選手として、全日本インカレ終了後の12月中旬以降に合流し、シーズン終了までVリーグでプレーする契約です。
そして同年12月23日、VC長野トライデンツ戦で途中出場し、Vリーグデビューを果たしました。
デビュー戦での得点は4点。
チームはストレート勝ちを収めています。
大学2年で、国内トップリーグのコートに立ちました。
横浜流星に似ていると話題になった
アジア競技大会での活躍と同時に、競技とは別の場所でも高橋選手の名前が広がりました。
俳優の横浜流星さんに似ている、とSNSで話題になったのです。
Number Webは2023年12月5日、石井宏美記者の記事でこの話題を見出しに取り上げました。
月刊バレーボールによれば、この話題を扱ったX(旧Twitter)の投稿は9月28日の時点で13.4万件のいいねと1,764万回の表示を記録しています。
大学の学食にも気軽に行けなくなった、と伝えられるほどの反響でした。
注目の広がり方は、その後の動きにも表れています。
2024年7月26日には、主婦と生活社から1st写真集『Real Face』が発売されました。
大会の直後から1年足らずでの写真集発売です。
本人はこの状況をどう受け止めていたのか。
Number Webの取材に、高橋選手はこう答えています。
「注目されることはありがたいし、嬉しいけれど、まだ実力が伴っていない」
注目そのものを否定するのではなく、注目に見合う中身がまだない、という言い方でした。
競技の外から来た関心を、競技のほうへ引き戻そうとする受け答えです。
月刊バレーボールの取材でも、きっかけが何であってもバレーボールが盛り上がるならうれしいとしたうえで、「顔だけ」とは言われたくないという趣旨を語っています。
パリ・バレーでの2年間と古巣復帰
2024年3月19日、高橋選手は2年連続で日本代表の登録メンバーに選ばれました。
一方でジェイテクトとの契約は3月末で期間満了となり、同月31日付で退団しています。
そして次の場所を海外に定めました。
2024年9月12日、フランスリーグのパリ・バレーへの入団が発表されます。
大学4年生での海外挑戦でした。
パリ・バレーは、フランス1部にあたるリーグAに所属するクラブです。
フランスリーグはイタリアやポーランドと並んでヨーロッパの主要リーグに数えられ、各国の代表クラスが集まります。
大学在学中の選手がそこへ飛び込む例は、そう多くありません。
ただし、出だしはスムーズではありません。
ケガの影響でチームへの合流が遅れ、実際にプレーを始められたのは12月からでした。
シーズンの3分の1ほどを棒に振ったあとのスタートです。
チームとしても、この1年目は苦しい結果に終わりました。
パリ・バレーはレギュラーシーズンを9位で終え、プレーオフ進出を逃しています。
それでも2025年6月、パリ・バレーとの契約延長が発表されました。
同じ時期、日本代表としてもネーションズリーグ(VNL)の登録メンバーに入っています。
6月12日のポーランド戦では途中出場から13得点をマークしました。
2シーズン目となる2025-26シーズン、パリ・バレーはクープ・ドゥ・フランス(フランスカップ)を制します。
クープ・ドゥ・フランスは、リーグ戦とは別に行われる国内のカップ戦です。
チームとしてはタイトルを手にした一年でした。
しかし高橋選手自身は、思うように出場機会を得られませんでした。
「高橋慶帆 退団理由」という調べ方をされることが多いのですが、報道で語られているのはこの点です。
優勝したチームの中で、自分の出番が限られていた。
その状況を動かすための移籍でした。
2026年6月1日、ジェイテクトSTINGS愛知との2026-27シーズンの契約が発表されます。
2023-24シーズンに強化指定選手としてプレーしたクラブへの、2年ぶりの復帰です。
本人はクラブを通じ、ジェイテクトSTINGS愛知の一員として戦えることをうれしく思うこと、海外での2年間で得た経験を活かしてチームの勝利に貢献したいことをコメントしています。
クラブでの背番号は24。
2026-27シーズンのチームはキャプテンを高橋和幸選手、副キャプテンを河東祐大選手とトリー・デファルコ選手が務めます。
そして復帰から2か月後、代表でも動きがありました。
2026年7月31日、第20回アジア競技大会(2026/愛知・名古屋)の男子日本代表12人に選出されています。
3年前の杭州大会でチーム最多得点を挙げた選手が、今度は日本開催の大会に臨みます。
男子バレーボール競技の会期は9月27日から10月3日まで。
予選ラウンドで日本はパキスタン、カザフスタン、ウズベキスタンと同じプールに入りました。
キャプテンは新井雄大選手、監督はロラン・ティリ氏です。
12人のうち、河東祐大選手と高橋和幸選手はジェイテクトSTINGS愛知のチームメイトでもあります。
クラブでの新しい関係が、そのまま代表チームにつながる編成です。
オポジットはもう1人、大阪ブルテオンの西山大翔選手が入りました。
同じポジションの2人でコートを分け合う形になります。
3年前の杭州大会では7試合を打ち切った高橋選手が、今回どういう使われ方をするのか。
そこは大会が始まってからの見どころです。
同じ12人には、こちらの記事でまとめている選手たちも名を連ねています。
↓ ↓ ↓



女子代表として同じアジア競技大会に出場する選手では、こちらの記事もあわせてどうぞ。
↓ ↓ ↓

高橋慶帆のよくある質問
検索されることの多い項目をまとめておきます。
高橋慶帆の読み方は?
「たかはし けいはん」です。
慶帆の2文字で「けいはん」と読みます。
ペルシャ語で「世界」を意味する言葉が元になっている名前です。
高橋慶帆は今どこのチーム?
ジェイテクトSTINGS愛知です。
2026年6月1日に2026-27シーズンの契約が発表され、クラブでの背番号は24番。
それ以前は2024年から2シーズン、フランスのパリ・バレーに所属していました。
高橋慶帆と高橋藍は兄弟?
別人であり、血縁関係はありません。
姓が同じで、どちらも男子バレーの日本代表であるため混同されやすいのですが、まったくの別選手です。
高橋藍選手は2001年9月2日生まれ、京都府出身のアウトサイドヒッターです。
2026年5月にポーランドのボグダンカ・ルク・ルブリンへの移籍が発表され、2026-27シーズンはポーランドでプレーします。
慶帆選手は2003年生まれ・千葉県出身のオポジットですから、生年も出身地もポジションも異なります。
高橋藍選手についてはこちらの記事でまとめています。
↓ ↓ ↓

高橋慶帆に彼女はいる?
2026年8月時点で、本人からもクラブからも交際に関する発表はありません。
まとめ
中学2年でバレーボールを始めた選手が、高校で3年連続の春高出場、大学2年で日本代表、そして大学在学中にフランスリーグへ。
歩みの速さだけを並べると順風満帆に見えますが、フランス1年目はケガで合流が遅れ、2年目はチームが優勝する一方で出場機会を得られませんでした。
2026年に古巣へ戻ってきました。
いま22歳、背番号は24番です。
10月13日には23歳を迎えます。
ペルシャ語で「世界」を意味する名前を持ち、フランスで2年を過ごした選手が、今度は日本で開かれるアジア競技大会のコートに立ちます。
会期は9月27日から10月3日まで。
3年前に113得点を挙げた大会と同じ舞台で、どんな一週間になるのか楽しみです。

