「日本三大山城ってどこ?」と聞かれて、3つともすぐに出てくる人は、なかなかのお城好きだと思います。
答えは岩村城(岐阜県)・高取城(奈良県)・備中松山城(岡山県)の3つです。
この記事では、3つの城の読み方と場所、「誰が決めたのか」、日本三名城との違いをまとめたうえで、1城ずつ見どころと行き方を紹介します。
なお、①②③は東から西へ並べた紹介の順番で、順位ではありません。
日本三大山城はどこ?3つの城と読み方
日本三大山城は「にほんさんだいやまじろ」と読みます。
3つの城の読み方と場所は、次のとおりです。
| 城名 | 読み方 | 所在地 | 本丸・天守の標高 |
|---|---|---|---|
| 岩村城 | いわむらじょう | 岐阜県恵那市 | 717m(本丸。恵那市観光協会岩村支部) |
| 高取城 | たかとりじょう | 奈良県高市郡高取町 | 583m(高取山の山頂。高取町) |
| 備中松山城 | びっちゅうまつやまじょう | 岡山県高梁市 | 430m(天守のある小松山。高梁市) |
岐阜・奈良・岡山と、中部から中国地方まで横に並んでいるのがおもしろいところです。
山城は「やまじろ」、山城国は「やましろ」
ここで迷いやすいのが「山城」の読み方です。
辞書では、山に築いた城のことを「やまじろ」と読み、「さんじょう」という読み方も載っています。
一方、「やましろ」と読むと、旧国名の山城国(やましろのくに)を指します。
山城国は、今の京都府の南部にあたる地域の昔の呼び名です。
「日本三大山城」は京都とは関係がなく、「山の上に築かれた城の代表3つ」という意味です。
漢字が同じなので、ちょっとややこしいですね。
日本三大山城は誰が決めた?
日本三大山城は誰が決めたか、探っていきます!
選定した団体は見当たらない
調べた範囲では、国や城郭の団体が「日本三大山城」を選定・認定したという記録は見つかりませんでした。
決まった選定者がいない「呼び名」と考えてよさそうです。
手がかりになるのが、岩村城の地元・恵那市観光協会岩村支部の説明です。
同支部は、日本三大山城について新人物往来社の『日本城郭大系』に記述があり、美濃岩村城・備中松山城・大和高取城の3つを指すと紹介しています。
また、平成11年(1999年)2月には3つの市町の関係者が集まり、第1回「日本三大山城サミット」が開かれたそうです。
平成18年(2006年)8月20日にも、岩村町で日本三大山城サミットが開かれたと書かれています。
地元どうしも、この呼び名で手を組んできたことがわかります。
3つの城に共通しているのは、どれも江戸時代に藩の城として使われ、明治に廃城となった山城だという点です。
城郭の解説では、江戸時代まで使われた「近世の山城」の代表として紹介されることが多いようです。
3城がそれぞれ持つ「日本一」と「唯一」
3つが選ばれる理由としてよく挙げられるのが、それぞれ別の「いちばん」を持っていることです。
地元の自治体や観光協会の説明を並べると、次のようになります。
- 岩村城:江戸時代の藩の本拠となった城の中で、もっとも高い所(標高717m)にある(恵那市観光協会岩村支部)
- 高取城:麓から本丸までの比高(高低差)390mは日本一(奈良県)
- 備中松山城:現存12天守の中で、山城は備中松山城だけ=「天守の残る唯一の山城」(高梁市)
岩村城は「日本一高い所にある山城」と短く紹介されることもありますが、地元の観光協会の説明には「江戸諸藩の府城の中で」という条件が付いています。
高さ・高低差・天守と、物差しがきれいに分かれているのがおもしろいですね。
標高の数字は出典で少し違う
3城の標高は、調べるサイトによって数字が少しずつ違います。
| 城名 | 出典 | 標高 |
|---|---|---|
| 岩村城 | 恵那市観光協会岩村支部(本丸・最高所) | 717m |
| 恵那市教育委員会(2010年の発掘調査の資料) | 717m | |
| 岐阜県観光公式サイトのスポット紹介 | 713m | |
| 城の紹介サイト・旅行サイトの一部 | 約721m | |
| 高取城 | 高取町(高取城跡のページ) | 583m |
| 高取町(登城の案内ページ) | 583.6m | |
| 恵那市観光協会岩村支部の紹介文など | 584m | |
| 備中松山城 | 高梁市(天守のある小松山) | 430m |
| 高梁市(臥牛山の最高峰・天神の丸) | 480m |
岩村城について、恵那市観光協会岩村支部は「本丸・最高所」を717mとしています。
713m・約721mとする理由は、確認できた範囲では説明されていませんでした。
高取城は、高取町のページの中でも583mと583.6mの両方の書き方があります。
この記事では、地元の自治体・観光協会が出している数字(岩村城717m・高取城583m・備中松山城430m)を基準にしています。
山城とは?平城・平山城との違い
お城は、建てられた場所によって「山城」「平山城」「平城」に分けられます。
- 山城(やまじろ):山頂や山腹などの地形を利用して、山に築いた城
- 平山城(ひらやまじろ):平地にある丘を利用して築いた城
- 平城(ひらじろ):平地に築いた城
公益財団法人日本城郭協会の「日本100名城」の一覧では、岩村城・高取城・備中松山城の3つとも「山城」に分類されています。
これに対して、日本三名城としてよく挙げられる名古屋城は「平城」、大阪城と熊本城は「平山城」です。
三名城が平地や丘の上の大きな城なのに対して、三大山城は山そのものを守りに使った城という違いがあります。
天守や御殿の豪華さを見るなら三名城、石垣や地形の険しさを体で感じるなら三大山城、という楽しみ方の違いもありそうです。
日本三名城(名古屋城・大阪城・熊本城)は、こちらでまとめています。
↓ ↓ ↓
https://tsubakiblog.com/3famouscastles/
①岩村城(岐阜県恵那市)

岩村城は、岐阜県の南東部、恵那市岩村町にある山城です。
恵那市観光協会岩村支部によると、1185年(文治元年)に源頼朝の重臣・加藤景廉がこの地の地頭となって築いたのが始まりと伝わります。
そこから鎌倉・室町・戦国・江戸と城と城主が続き、明治の廃城令で廃城になるまで、約700年の歴史があるとされています。
ただし恵那市教育委員会の資料(2010年)では、今の山城が築かれ始めたのは16世紀はじめごろと考えられており、「1185年」は創築の伝えとして読むのがよさそうです。
霧が湧きやすい土地で、別名は「霧ヶ城(きりがじょう)」です。
江戸時代は岩村藩の城で、日本100名城のひとつ(No.38)にも選ばれています。
岩村城の見どころ
いちばんの見どころは、本丸の北東側にある「六段壁(ろくだんへき)」です。

その名のとおり石垣が6段に積まれていて、ひな壇のように見えます。
岐阜県観光公式サイトの記事によると、はじめは最上部の1段だけでしたが、崩れるのを防ぐために下に石垣を継ぎ足していった結果、幕末には6段になったそうです。
もうひとつの名物が、霧ヶ城の名前の由来になった井戸「霧ヶ井(きりがい)」です。
敵が攻めてきたときにこの井戸へ秘蔵の蛇の骨を投げ込むと、たちまち霧が湧いて城を包み隠した、という伝説が残っています。
城内にはこのほかにも井戸が17か所あったとされ、山の上なのに水には困らなかったようです。
本丸の裏門のあたりでは、野面積み・打込みハギ・切込みハギという時代の違う3種類の石垣の積み方を一度に見られます。
石垣は総延長1.7kmにおよぶとされていて、建物が残っていないぶん、石垣をじっくり見るのが岩村城の楽しみ方です。
麓の藩主邸跡には、太鼓櫓などが復元されています。
女城主・おつやの方
岩村城を語るうえで欠かせないのが、織田信長の叔母にあたる女城主「おつや」です。
恵那市観光協会岩村支部の紹介によると、城主の遠山景任が亡くなったあと、その夫人が信長の五男・御坊丸を養子として岩村城を守っていたと伝えられています。
元亀3年(1572年)11月、武田方の秋山虎繁(信友)が城を攻め、夫人は家臣や領民を守ることと引き換えに、秋山との結婚を受け入れて城を明け渡したとされています(恵那市教育委員会の資料。恵那市観光協会岩村支部の紹介では天正元年)。
その後、天正3年(1575年)に信長の嫡男・信忠の軍が岩村城を攻め落とし、秋山と夫人は処刑されたと伝わります。
善政を敷いて最後まで領民を守ったと伝えられていることから、岩村町は「女城主の里」と呼ばれています。
戦国時代の城の歴史のなかでも、とくに切ないエピソードのひとつですね。
アクセス・登城の目安
岐阜県観光公式サイトによると、行き方の目安は次のとおりです(2026年10月時点の掲載)。
- 電車:明知鉄道「岩村駅」から徒歩約1時間
- 車:中央自動車道「恵那IC」から約20分
麓の城下町は、江戸時代の面影を残す町家が並び、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選ばれています(岐阜県観光公式サイト)。
城だけでなく、城下町もぶらぶら歩いてみたいところです。
②高取城(奈良県高市郡高取町)

高取城は、奈良盆地の南、高取町の高取山の山頂に築かれた山城です。
奈良県の解説によると、元弘2年(1332年)に南朝方の豪族・越智邦澄が築いたのが始まりです。
その後、豊臣秀長の家臣・本多利久らによって本格的に改修され、寛永17年(1640年)に植村家政が入ってからは、植村家の城として幕末まで続きました。
明治6年(1873年)に廃城となり、建物は残っていませんが、約10mある高石垣などがほぼ完全な状態で残っているとされています。
昭和28年(1953年)に国の史跡に指定され、日本100名城のひとつ(No.61)にも選ばれています。
また高取町によると、2018年6月30日放送のNHK総合の番組で「日本最強の城」に選ばれました。
高取城の見どころ
高取城は、白漆喰塗りの天守や櫓が山の上に建ち並んでいたことから「芙蓉城(ふようじょう)」とも呼ばれました。
「巽高取 雪かと見れば 雪でござらぬ 土佐の城」と歌われたほどで、奈良県は「山にある姫路城」をイメージするとわかりやすいかもしれない、と紹介しています。
今はその姿を想像するしかありませんが、だからこそ石垣の大きさに驚かされます。
奈良県の解説で見どころとして挙げられているのは、次のような場所です。
- 七ツ井戸から見上げる本丸・二ノ丸の高石垣
- 国見櫓跡からの眺め(天気が良い日は大阪市内や明石海峡大橋まで見えるとされる)
- 近くの古墳の石を再利用した「転用石」が使われた石垣
- 何度も折れ曲がる「七曲り」や、急坂の「一升坂」
坂がきつすぎて、植村家の時代には城主の住まいが山の下の屋敷に移され、城主は正月などの行事のときだけ籠で山上まで登っていたそうです。
比高390mの日本一は、伊達ではありませんね。
二ノ門の外には、飛鳥時代に作られたと考えられている石像「猿石」もあり、高取町は石垣に使うため明日香から運ばれたと言われていると紹介しています。
アクセス・登城の目安
高取町の案内ページ(2018年掲載)によると、登城の目安は次のとおりです。
- 近鉄吉野線「壺阪山駅」から徒歩で片道約2時間(約4.5km)
- 壺阪山駅からバスで「壷阪寺前」まで行き、そこから高取城跡まで徒歩約1時間
山城のため、車で城跡まで行くことはできません。
高取町は、スニーカーや長袖など登山に適した服装で来るよう呼びかけていて、「ハイヒールなどで簡単に登れる城ではありません」とまで書いています。
山の日没は早いので、下山の時間にも気をつけましょう。
③備中松山城(岡山県高梁市)

備中松山城は、岡山県高梁市の北にそびえる臥牛山(がぎゅうざん)に築かれた山城です。
臥牛山は、大松山・天神の丸・小松山・前山の4つの峰の総称で、高梁市はこの山全体に築かれた城が「備中松山城」だと説明しています。
一般に備中松山城として知られているのは、標高430mの小松山にある、天守などが残る部分です。
高梁市によると、延応2年(1240年)に秋庭三郎重信が臥牛山の大松山に城を築いたのが始まりと考えられています。
江戸時代には城主が何度も代わり、水谷氏が断絶した元禄6年(1693年)には赤穂藩主・浅野内匠頭が城の受け取りにあたり、城代家老の大石内蔵助が1年近く備中松山城にとどまったそうです。
忠臣蔵の大石内蔵助がここにいたとは、ちょっと意外ですよね。
日本100名城のひとつ(No.68)で、2025年1月2日放送のNHK「日本最強の城 2025新春スペシャル」では「最強の城」に選ばれたと、高梁市観光協会が紹介しています。
備中松山城の見どころ
最大の見どころは、もちろん江戸時代から残る天守です。
全国に12ある現存天守のうち、山城に残る天守は備中松山城だけです。
高梁市によると、天守は二層二階で、天和3年(1683年)に藩主・水谷勝宗が行った大改修の際に今の形になったと言われています。
高さは約11mで、現存天守の中ではいちばん低いそうです。
ただし、もともとは隣の櫓から廊下でつながる造りでしたが、昭和15年(1940年)の大修理のときに傷みがひどく、やむなく切り離したため、昔の姿とは少し違っているとされています。
天守と二重櫓、三の平櫓東土塀は国の重要文化財に指定されています。
NHKの番組で「最強の城」に選ばれたときは、雲海の景色とともに天然の岩盤を巧みに利用した石垣が評価されたそうです。
山道を登り切ったあとに小さな天守が見えてくる瞬間は、写真で見るよりずっと印象に残りそうです。
雲海に浮かぶ姿が見られる時期と展望台
備中松山城の公式サイトでは、城を「天空の山城」と紹介しています。
秋から春の早朝、条件がそろうと城のまわりの盆地に雲海が広がり、城が雲の上に浮かんでいるように見えるためです。
高梁市によると、雲海が出る時期と時間の目安は次のとおりです。
- 時期:9月下旬〜4月上旬の早朝
- とくに濃い朝霧が期待できる時期:10月下旬〜12月上旬
- 時間:明け方から午前8時ごろまで
昼と夜の寒暖差が大きいことや風がないことなど、気象条件がそろわないと雲海は出ません。
雲海に浮かぶ城を眺めるのは、天守の東側の別の山にある「雲海に浮かぶ備中松山城を望む展望台(雲海展望台)」です。
備中松山城の公式サイトによると、高梁駅から車で約20分です。
高梁市はこの展望台からの映像をYouTubeでライブ配信しているので、出かける前に様子をのぞいてみるのもよさそうです。
アクセス・入城料(2026年10月時点)
備中松山城の公式サイトと高梁市のページによると、2026年10月時点の情報は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 開城時間 | 4月〜9月:9:00〜17:30(入城は17:00まで) 10月〜3月:9:00〜16:30(入城は16:00まで) |
| 休城日 | 12月29日〜1月3日(台風・積雪などで臨時休城あり) |
| 入城料(天守・本丸) | 大人500円、小中学生200円 |
| 登城整理バス | 城見橋公園(城まちステーション)〜ふいご峠を運行。運行日は公式サイトのカレンダーで案内。整理料は2026年9月1日から大人600円、小中学生300円 |
| ふいご峠から天守まで | 徒歩約20〜30分 |
| 電車・徒歩 | JR伯備線「備中高梁駅」から天守まで徒歩約90分。駅からタクシーで「ふいご峠」まで約10分 |
登城整理バスが走っている日は、城見橋公園からふいご峠までマイカーでは上がれません。
また、2026年10月12日〜16日、11月16日〜20日、11月23日〜27日は、伐採工事のため「高梁高校上〜ふいご峠」の遊歩道が終日通行止めになります(天守への入城はできます)。
駐車場の料金なども含めて、2026年の秋は変更が多いので、出かける前に公式サイトを確認しておくと安心です。
日本三大山城を比較一覧
3つの城を一覧で比べると、次のようになります。
| 城名 | 所在地 | 標高 | 比高(高低差) | 天守 | 日本100名城 | 主な特徴 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 岩村城 | 岐阜県恵那市 | 717m(本丸) | 180m | なし(石垣が残る) | No.38 | 江戸時代の藩の城で最も高い所にある/六段壁/霧ヶ城 |
| 高取城 | 奈良県高市郡高取町 | 583m | 390m(日本一) | なし(天守台と石垣が残る) | No.61 | 麓からの比高が日本一/芙蓉城/高石垣 |
| 備中松山城 | 岡山県高梁市 | 430m(天守のある小松山) | - | あり(江戸時代の天守が現存) | No.68 | 天守の残る唯一の山城/雲海/重要文化財の天守 |
※比高は、岩村城は恵那市観光協会岩村支部、高取城は奈良県の数字です。備中松山城は、自治体・公式サイトで比高の数字を確認できなかったため「-」としています。
天守の中に入りたいなら備中松山城、石垣と山歩きをじっくり楽しみたいなら岩村城と高取城、という選び方ができそうです。
まとめ
日本三大山城は、岩村城(岐阜県恵那市)・高取城(奈良県高取町)・備中松山城(岡山県高梁市)の3つです。
山城は「やまじろ」と読み、京都府南部の旧国名・山城国(やましろのくに)とは別物です。
選定した団体は見当たりませんが、地元の観光協会は『日本城郭大系』に記述があると紹介していて、1999年からは3つの市町による「日本三大山城サミット」も開かれてきました。
3城には、岩村城は「江戸時代の藩の城で最も高い所」、高取城は「比高日本一」、備中松山城は「天守の残る唯一の山城」と、それぞれ別の「いちばん」があります。
どの城も、着くまでにしっかり山道を登ることになります。
歩きやすい靴で、3つの「いちばん」を自分の足で確かめに行ってみてはいかがでしょうか。

